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St-Remy de Provence(サン・レミ・ド・プロヴァンス)
9. St-Remy de Provence (サン・レミ・ド・プロヴァンス)
ビゼーの作曲した管弦楽組曲「アルルの女」で有名なアルルはシーザーのガリア戦記にも出てくる歴史のある南仏の町です。行政圏だけで言えばフランス最大の面積を持つ大都市となります。古代ケルト語で「沼の近くの場所」を意味するアルルは実際ヨーロッパ最大の湿地帯カマルグへの玄関口となっています。作曲の元になったドーデの短篇集「風車小屋便り」内の一篇「アルルの女」からもわかる通り、複数の人種の混血からか美しい女性の多い町とされています。
1886年パリで絵画アカデミーに入り、南仏ツールーズ出身の画家仲間ロートレックに「南仏に行くのならアルルにしろよ。あそこは美人が多いから。」と言われたゴッホがアルルに着いたのは1888年2月でした。その後ゴーギャンとの夢は破れ1889年5月には自らサン・ポール修道院の精神病棟に入ります。1年後に退院しパリ近郊に移り2ヵ月後に自殺しています。
150点にも上る作品を残したサン・ポール・ド・モーゾール修道院はアルルから車で30分ほどのサン・レミ・ド・プロヴァンス(アルルの一部です)の町はずれにあります。町の名はフランク王国初代王クロービスに洗礼を授けた司教レミに由来します。メロヴィング朝時代(5~8世紀)、この地はランスのサン・レミ大修道会の所有地となり982年修道院が創設され、フランス革命後は精神病院となり、2014年からは文化センター(ミュージアム)も併設しています。入院中のゴッホは自室以外にアトリエと画材置き場の2部屋を与えられ写生にもある程度自由に出られたようです。院内の庭や畑、町への道など多くの場所に『アイリス』『星月夜』『オリーブの林』など、ここでこの絵を描いたとの説明パネルが設置されています。
門から院入口に続く小道の途中ではロシア人ザドキンによる向日葵を持ったゴッホの銅像が迎えてくれます。2階には窓に鉄格子の入ったゴッホの部屋が再現されています。『アイリス』を描いた庭からは四角い鐘楼を持つロマネスク様式の修道院の優しいフォルムがラヴェンダー畑越しに見えます。
メモランダム:サン・レミ・ド・プロヴァンスの観光案内所を訪れたのは6月上旬の正午過ぎでした。やはり閉まっていました。ここミディでは初夏ともなると日差しが強くなり、住民はしっかり昼休みを取ります。観光案内所も例外ではありません。嘗ては自分もそうしていたのに忘れていました。直接サン・ポール修道院に向かいました。
門を入ると人影もなく、静寂な院内をゆっくり廻り中庭に出ました。アイリスの畑があります。アイリスのピークはすでに終わっていましたが日中この乾いた空気の中、この日差しの下、デッサンを描くだけでも結構大変だなと思いました。しばらく行くと『星月夜』のパネルが塀に掛かっています。何もないこの庭で一人でデッサンしているゴッホ(糸杉?)に月と星たちが何か声をかけているように見えてきます。
病院側の対応の仕方などからするとゴッホは決して狂人ではなかったようです。むしろ150点もの作品を残したここでの1年間の生活は大変充実したものだったとも思えます。アルルを気に入っていた彼は画家たちとの共同体生活の夢は破れても、描きたい意欲は衰えず、むしろ強くなり、行動の制約があるなか手近なものを画題とし昼・夜寸暇を惜しんで描いていたのではないでしょうか?アイリス、オリーブ林、麦畑、糸杉、一見平凡な画題ですが、どの作品からも挑戦的な気迫と描くことの喜びが伝わってきます。
帰路門を出ると広い駐車場に何台もの大型観光バスが停まっており大勢の見学者が並んでいました。 観光案内所をパスしたのが正解だったようです。
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