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Javier (ハビエル、ザビエル)
15.Javier (ハビエル)
Javier(ハビエル)はスペイン領バスク・ナバラ州の州都パンプローナから南東に50Km 程ピレネー山中に分け入った小さな町です。ここには16世紀日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルが生まれたザビエル城(以下日本語表記を使います)があります。城は10世紀の終わりにアラゴンとナバラの国境の丘の上に見張り塔として建てられましたがその後イベリア半島からのイスラムの侵略を防ぐ要塞として、何度も増築が重ねられ規模を拡張し、今は中世の城塞なる言葉がぴったりの容姿を残しています。
ここナバラ州に多く産出する赤味がかった砂岩からなる城は現在、ザビエルやロヨラ等が創設したイエズス会が所有し城全体が彼の生涯を語るミュウジアムとなっています。展示物としては城の変遷を示す模型、中世の武器や武具、古書籍、宗教画、宗教者の彫像等がありますがハイライトは人形を使った15場面ほどのザビエルの生涯を再現したジオラマでしょう。1506年ザビエル城で誕生し、1552年中国でのキリスト教布教許可を待ちながら病に倒れ広東州で死亡するまでの46年の生涯を光と音を使用し再現しています。勿論、日本での布教活動のシーンもあります。18 歳まで過ごした居室からは今も彼が眺めていたピレーネーの山々が遠くに見えます。しかしやはり我々日本人の興味を引く物としては日本滞在中、布教活動に使用したキリストや聖母子及び布教活動中のザビエル等を描いた幾多の掛け軸ではないでしょうか。日本の絵師が掛け軸に描いたキリストに不思議な感じを覚えます。またその一つには神から遣わされた人の名前はフランシスコと書きこまれています。
ただ気になるのは数多くある肖像画や彫像の顔がどれも我々が見知った顔と似てないことです。より厳しい表情のように見えます。城の正面にある受胎告知教会にはザビエルが洗礼を受けるときに使用された聖水盤が保管展示されています。
メモランダム:司馬遼太郎の街道をゆく南蛮のみちを読みザビエル城の存在を知りました。運河の旅の後トゥールーズから向かうことにしましたがgoogleによれば3経路あります。一番近いのはポー(Pau)からピレネー山脈にアタックする道、次いでサンジャン・ピエド・ポールを通るコンポステーラへの巡礼道、一番遠回りがビスケー湾まで出るバイヨンヌ経由の道です。ただし最短との時間差は僅か2分。全道程がほぼ高速道路のバイヨンヌ経由を選びました。ピレネーの山中に忽然と現れたザビエル城は中世の城のイメージにぴったり当てはまり、明らかに要塞然としていました。展示品ではその存在自体に驚きましたが、日本人絵師が岩絵の具(?)で描いた掛け軸は大いに興味をそそられました。当初は釈迦の国から来たことやキリスト教の神(デウス)を大日と訳していたことなどで仏教の一派と見られたこともあったようですが,跪き熱心に耳を傾ける武士や庶民の姿を見ると、自ら「異教徒の中では最高に優秀な人々]と評していた日本人に布教するのはザビエルにとり大きな喜びではなかったかと思えてきます。
16世紀ピレネーの山中から東洋の外れの島国にやって来た人を追って21世紀、東洋のはずれからピレネー山中へと旅をしました。