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Grez-sur-Loing (グレ・シュール・ロワン)
1.Grez sur Loing(グレ・シュール・ロワン)
イル・ド・フランス地方セーヌ・エ・マルヌ県、フォンテーブローの南10Kmほどのセーヌ川の支流ロワン川沿いの小さな村です。明治時代、黒田清輝が滞在し『読書』を描いた場所です。
村中には40~50mほどのRue Kuroda(黒田通り)があり、彼が滞在した家の門扉には「日本近代洋画の父」が滞在した旨パネルが張られています。
黒田(24歳)はこの家の娘マリアをモデルに『読書』を描き1891年フランス芸術家協会主催のサロンに出展し入選を果たしました。
ここから東に10㎞程行くとやはりロワン川沿いの綺麗な町モレ・シュール・ロワン(Moret sur Loing)になります。シスレーが町の教会を描いています。
またパリの方向北に少し戻るとルノアールやシスレーがよく昼食をとったレストラン Marlotte (マルロット)のあるBurron Marlotte ですがここの市庁舎は美術館となっており展示されている200~300点の絵画すべてがこの町周辺に来た画家達の寄贈品です。
メモランダム:Grez sur Loing にはパリ・リヨン駅から列車で約1時間の最寄り駅Burron-Marlotte-Grezへ。駅から約3Km。黒田が渡仏した頃にはパリに近いバルビゾンやモレは世界中からの画家たちで一杯だったので自然、家賃の安いより遠くになったのでしょう。でも黒田の日記によるとグレにはアメリカ人やイギリス人の画家ばかりでフランス人の画家はいなかったようです。
ここに来て想うことは、戊辰戦争からわずか20数年で薩摩藩士の子が知る人もいないこの淋しげな片田舎で、フランス人女性をモデルに油絵を描いていたと言うことです。驚きです。しかもその絵には日本人が描いた事を示すために漢字で源清輝とサインを入れ、著名なサロンで入選です。凄いとしか言いようがありません。これが明治の活力でしょうか?『黒田日記』読んでみませんか?
レストランMarlotteの女主人は日本から来たと言うと日本のビデオ会社が製作した要潤がテラスで食事をし周囲の感想や印象派について語っているビデオ(「世界の絵画・印象派」?)を見せてくれました。昼食(子羊とマグレドカナール)はルノワールの当時もかくやと思わせる美味しさと量の多さでした。
グレもモレもフォンテンブローの森の続きにある川辺のたいへん静かな、美しい村・町です。世界から多くの画家たちが集まったのもむべなるかなと思いますがこのロワン川がしばしば氾濫する様です。訪れた時も大雨の直後で川岸の散歩はかないませんでした。
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