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Domremy-la-Pucelle (ドンレミ・ラ・プュセル)
13.Domremy-la-Pucelle (ドンレミ・ラ・プュセル)
パリから東に340Km緑豊かな丘陵地帯を緩やかに流れるムーズ川、その岸辺にひっそり佇むのが人口100人ほどの小集落ドンレミ・ラ・ピュセルDomremy-la-Pucelleです。1412年1月6日この地に生まれたジャンヌ・ダルク(Jeanne D'Arc)は生家に隣接する村の名と同じ名称(Domはラテン語でSaint)のサン・レミ教会で洗礼を受けました。
敬虔な少女は13歳の時庭で初めて『声』を聴きます。やがて乙女(ピュセル)は17歳で消滅寸前のフランス王国を救い、19歳で魔女として火刑に処され、その後1920年には列聖され現在はフランスの守護聖女となっています。
ジャンヌが両親と3人の兄弟、1人の妹(姉?)と暮らしていた生家が国の歴史的建造物として現在も残っています。兄ジャンが暮らしその後は血筋の人々が所有していたようで手直しや改修が幾度もなされ建築年代を特定するのは難しいようです。15世紀の豊かな自営農民の住まいの特徴を残す木骨組・葺屋根の家は現在、暖炉のあるジャンヌが生まれた部屋、兄弟の部屋、妹とジャンヌの部屋など4部屋の見学ができます。室内にはジャンヌの遺品等は一切なくただジャンヌの部屋の窓からは『声』を聴いたとされる中庭越しに隣のサン・レミ教会が見えるだけです。正面入り口の上部には跪き祈る鎧姿のジャンヌ像とシャルル7世から貴族位と共に授与されたダルク家の紋章Du Lys(デュ・リス:ユリの紋章)がフランス王家の紋章と並び彫り込まれています。
生家の横にはジャンヌ・ダルク記念館(Centre d'Interpretation)がありジャンヌがかかわる一連の出来事がどのように起きたのか主に時代背景を映像、パネル、人形などを使い説明しています。
また、生家の前にはムーズ川が作り出した緑の野原が広がり、放し飼いされた羊たちが静かに草を食んでいます。その遠景にはジャンヌがやはり『声』を聴いたとされる場所に、聖女となったジャンヌに捧げ創建されたドンレミ大聖堂の尖塔が見えます。
メモランダム:隣村から川沿いの道を走り古い石橋を渡りドンレミ村に入ると駐車場があり木立に隠れてジャンヌ・ダルクの像が見えます。それ以外聖女の故郷を思わす特別な表示や飾りはなく、気をつけていなければ村を走り抜けてしまいそうです。少々拍子抜けの気がします。15世紀の生家は残っているだけで素晴らしいのでしょうが、それにしても全く何もありません。ただジャンヌの部屋の厚い石壁に開けられた窓は彼女が朝な夕なにサン・レミ教会を見ていたことを思わせます。また少しは彼女の神秘性に触れる文章等があるかと思いましたが説明文には宗教色は一切ありません。さすが政教分離のフランスです。
ジャンヌ・ダルク記念館も当時のフランス王室を取り巻く時代背景の説明が主で、ジャンヌの事績にはあまり触れていません。出口で案内所の女性に「何故シャルルはジャンヌを救くわなかったのですか?」と尋ねると「ジャンヌと違いそろそろ戦を止めたかったのと身代金を支払えなかったのよ。」と大変判りやすい、冷静で醒めた返事が返ってきました。
『カトリックの長女』を自負するフランス人はジャンヌ・ダルクをどう位置付けているのかなとの興味があり生家を訪れたのですがここは合理主義哲学の祖デカルトの国だと思い知らされる結果となり何故か安心しました。
ただ純粋に来て良かったと思ったのは生家や記念館を訪れた時ではなく、記念館を出てムーズ川に向かい歩き出した時に目に飛び込んできた現代を思わせる物が一切ない緑の草地に麦藁を積んだ荷車があり,その下で羊たちが寝そべっていたり、近くで親子の羊が草を食んでいたり、あたかも羊番をしていたジャンヌが見たであろう景色と同じ景色を見たような気がした時でした。