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Col de Roncevaux (ロンスヴォ―峠)
16. Col de Roncevaux (ロンスヴォ―峠)
嘗てフランク王国のシャルルマーニュ大帝の騎士ローランがイスラム教徒の襲撃に遭ったにもかかわらず騎士の矜持として味方を呼び戻す角笛を吹くのをためらい部下ともども全滅したとの言い伝えの残るロンスヴォ―峠はスペイン領バスク・ナバラ州の州都パンプローナから北東へ40数キロ、ピレネー山脈を分け入ったところにあります。
778年8月15日フランク王の軍がピレネーの地場民族バスク人の襲撃に会い多数の死者を出した話がレコンキスタに向かったシャルルマーニュ大帝の軍隊と40万のサラセン軍との激戦の話になりやがては11世紀イスラム教徒からの聖地奪還に向かうキリスト教徒の兵士を勇気づける歌・武勲詩となったのがローランの歌(Chanson de Roland)です。歴史に反するも中世の騎士道精神を示す典型的な例としてイギリスの「アーサー王と円卓の騎士物語」と双璧をなしています。詩の成り立ちとしてはランスヴォ―峠がフランス側のサン・ジャン・ピエ・ド・ポールからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途中にあることもあり中世の吟遊詩人や修道士が各宿泊所でローランの岩をも切り裂く愛剣デュランダルや12人の勇将などの話を加え巡礼者に語り、それが広く口承、伝承されていったようです。
メモランダム:パンプローナを車で出発した時は曇り空であったのですがピレネーの山に分け入ると雨が降り出してきました。ロンスヴォ―峠の巡礼事務所につく頃には本格的に降っていました。事務所横のサン・ティエゴ教会に逃げ込むと数名の巡礼者が合羽を着たまま祈りを捧げていました。巡礼路に相応しいサン・ティエゴ(聖ヤコブ/サン・ジャック)や聖母子像を眺め観光案内所に向かいました。
案内所ではバスク人の青年がにこやかに迎え入れて色々説明してくれるのですがこちらがロンスヴォ―の古戦場の場所は何処ですかと尋ねると急にトーンが落ち場所はあまり確かではないのですがと言いながら、それでも真直ぐ行くと右手にあると教えてくれました。標高1057mのイバニエタ峠礼拝堂横の駐車場に車を停め小降りになった雨の中を記念碑まで登りました。記念碑にはローランの名(西語Roldan)と778、1967との戦いのあった年と記念碑を設置した年が刻まれていました。前面に広がるピレネーの丘や谷間に両軍の屍が累々と横たわる、いつか見た挿絵の一場面を思い出し暫し中世に思いを馳せたのですが帰国後、調べると40万のサラセン軍はおらず、数百人規模のバスク人との戦いであったことが判明しバスク人にとってはあまり吹聴したい故事ではないこともわかり、あの観光案内所のバスク青年の説明するトーンが急に落ちたのにも納得がいったのでした。